ハイジ母さん再び北海道へ!

北海道大好き!戻ってきたよ~!!

答えを出すまでに

「どうしてもっと早く言ってくれなかったん?」

旦那さんのこれまでの言動が、躁鬱だった為だと私はやっと合点がいき「こうゆう事を話せるのが夫婦じゃないん?」と。

 

結婚して1年半後位に、旦那さんは長年勤めていた会社を退職。

一緒にあっちこっち旅行しようと計画し、伊勢や北海道・東北・ディズニーランドを旅を楽しむはずだった・・・

 

が、東北旅行に行った時、秋田でいつものように写真を撮って楽しんでた私。

振り返ると、旦那さんの姿が無い。

どこへ行ったんだろう??と探すが見当たらない。

LINEを送っても返事が無いし、☎にも出ない。

 

写真どころではなくなって、心配して探し続けてると、ひょっこり旦那さんの姿が。

「どこに行ってたん!?探してたのに~」

「あぁ、(私が写真撮ってるのを待ってるのが)退屈だから美術館に入ってた」

なんで行く前にちょっと声をかけてくれなかったの?

その辺から私の??が少しずつ増えていったように記憶してる。

 

やがて私の??は群馬の暑い夏と共に憂鬱に変わり、私は旦那さんとのささいなきっかけから口をきかなくなってしまった。

エアコンの効いた部屋に閉じこもり「これが結婚?」「思ってたのと違う」「北海道に帰りたい」「でも、これから一人で生きていくのは経済的にも精神的にも大変」と同じ事を何度も繰り返しながら涙を流す日々が始まった。

 

その内旦那さんに料理をする気にもなれなくなって、やがて堪忍袋の緒が切れた旦那さんが

「どうゆうつもり!?」と怒りをぶつけてきた。

そして家から出て行ったかと思うと、離婚届けを手にして帰ってきた。

 

私は自分のとった行動に、少しは離婚も覚悟していた部分があったけど「あなたにとっての結婚って、そんなに簡単なものだったん?」と言った私の言葉に、旦那さんがはっとした顔をしたのを覚えてる。

しばらく沈黙した後「離婚しなかったらどうなる?」と聞く旦那さん。

少し考えた私は「今まで通り」

 

「ごめん、カッとして悪かった」と言いながら、手にしていた離婚届けをバリバリと破り始めた。

「おれ、お前と離婚したら3回目だよ。そしたらこの家にも住めなくなっちまう」

きっと自分の子供や姉弟夫婦、長年付き合いのあるご近所等々が旦那さんの頭によぎったのだろう。

 

私は沈黙を破り、今までよりも少しクールに旦那さんとの生活を続ける事にした。

そう、経済的には何不自由なく「私の好き~なようにすればいい」と言う旦那さんの言葉通りに。

 

でも、一人で東京へ遊びに行っても、旅行に行っても、旦那さんと一緒に出掛けた楽しみを知った後では何だか同じように楽しめない。

どこか空しい気持ちが残る。

大好きだった写真を撮る事も、段々楽しくなくなってきた。

 

母が突然亡くなってから、何度もお風呂で一人泣いてたな~。

そして昨年末、父も突然亡くなった。

その日、私も旦那さんも仕事をしてて、私は家に帰ってから父の死を知った。

北海道行の飛行機の手配をする為に、旦那さんの勤め先へ電話をすると「えっ!!?でも、仕事が・・・」と言った旦那さん。

 

仕事って・・・父が亡くなった事より大事?

いくら長年仕事一筋で来た旦那さんだとは言え、私にはショックだった。

回りで聞いてた職場の人たちが「いいよ、いいよ。行ってあげな!」と言ってるのが聞こえる。

 

私の気持ちは更にクールになっていった。

 

旦那さんの告白

憔悴しきった旦那さんが発した言葉は・・・

「俺、また鬱になったみたいなんよ」

「昨日、風呂で手首切ろうとして、はっとしてやめたんだ」

「そして、躁もあるみたいなんよ」

 

旦那さんと知り合った時、鬱だというのは聞いてたけど、治ったと言ってた。

でも、結婚してから旦那さんの言動に???な事がちょくちょく感じられてた。

 

妙にはしゃいで、何かと言うと冗談のように「りこ~ん(離婚)」「りこ~ん」と言う。

最初は笑ってた私も、あまりにも毎回毎回繰り返すので「もしかして私にガッカリしてる?」と思うようになり「りこ~ん」と笑う旦那さんに「本気じゃないなら、もう言わないで!」と頼んだ事があった。

 

他にも、機嫌がいいとずっと喋ってて、私に話しかけてるのか?大きな声で独り言を言ってるのか?時間と共に聞いてるのが段々苦痛になってきた事も。

妙に子供じみた言動をする時があったかと思うと、黙り込んでる時があったり・・・

 

こうゆう言動が全部「躁鬱」につながってた事がやっと分かった。

更に「精神病院に入ってた事もある」と言う。

その病院は、群馬で出来た友達がかつて勤めていた病院。

 

そこまで酷かったのか!?

何故、そんな風になってしまったのか?

「最初の奥さんが浮気してたのを見て、俺はたまらなくて家を飛び出したんだよ」

 

旦那さんと知り合った時、バツ1で子供が2人いる事は知ってた。

でも、結婚する事が決まった後に「おれ実はバツ2なんだよ。2回目の奥さんはデパートで某化粧品メーカーの販売員。自分の稼ぎは化粧品や洋服に全部使っちゃう人で、おれのお袋とも合わなくて、2年位で別れちゃった」と教えてくれた。

 

でも、最初の奥さんとの離婚理由については詳しく知らなかった。

その理由が浮気・・・

だから、旦那さんは家を出た後、子供たちとも一切会わず。

本当は連絡したかったけど、そうなると最初の奥さんに連絡する事になる。

「それがどうしても厭だった。だから子供の事を言われても知らないとしか言えなかった」

 

私は、旦那さんに子供の事を何度か聞いた事があった。

娘は結婚して孫が出来てるらしく、息子は海外に居てまだ独身とだけ教えてくれた。

息子は、私が結婚して数か月後に一度家へ遊びに来てくれたけど、今はどこに居るのか連絡が取れないんだとか。

 

そういった事をポツリポツリと話してくれた旦那さん。

「もしおれが北海道に一緒に行くって言ったらどうなる?」と聞いてきた。

私の返事は・・・

 

 

着々と準備を

家を購入する事が出来た私は、次に車の準備を。

 

今乗ってる軽四=スペーシアは、結婚後旦那さんに買って貰ったお気に入り。

でも、2WDなので北海道ではキツイ!

タイミング良く、新聞の折り込みに近くの「ネクステージ」のチラシが入ってるじゃ~あ~りませんか!

 

ところが、翌日買い物に行った時に、駐車場に置いてた三角コーン(グリーン)で車の後ろをこすってしまい、擦り傷&グリーンの塗料がぁぁぁ!!( ノД`)シクシク…

慌てて翌日、懇意にしてる車屋さんに行ったんだけど、生憎の祭日で休み・・・

 

そこでチラシを思い出し、試しに買取査定がてらどんな車があるのか?ネクステージへ行ってみる事にした訳。

 

そしたら、予想以上の査定額♪

しかも、擦り傷&塗料付きでこのお値段~!?と、ちょっと気分上がったわ。(〃艸〃)ムフッ

 

以前、父の車の買取でお世話になったネクステージさん。

この時も、他のお店よりダントツの良いお値段で買い取ってくれたのよ。

一応、今回も他のお店にも査定して貰ったけど、比べ物にならないお値段。

 

ならば!ネットであれこれ検索し、見~つけたっ♪

この車はどう!?と、再度ネクステージへ行って、取り寄せて貰う事に。

 

って事でトントンと話が進み、お取り寄せ!

 

ただ今、外装を綺麗に塗り直して貰い、車の下の錆取&錆防止も塗って貰って、綺麗にメンテナンス中♪

間もなく引き渡しでございます~。

 

そして、この一連の契約を旦那さんに伝えたのは11月29日。

こんな手紙を書きました。

 

「北海道に家を買いました。
来年4月までに引っ越しを予定していて、車も下取りして貰い、中古の4WDに変更しました。
12月半ばに新しい車が届く予定。
なので、手続きに必要な今の車の任意保険証を出しておいて下さい。

父も見送り、もう群馬には居なくてもいいかな?と思ったこの1年。
縁あって、住みたかった地に良い物件と出会い、購入する事が出来ました。

6年前、群馬に来るにあたって随分悩みました。
何度も泣いて悩みました。
でも(旦那さんの)傍に居たいと思って群馬に来たけど・・・
現実は違ってた。

暑い町群馬は、私には住みにくい。
増して(旦那さんに)あなたにとっての私とは?と考えた時に、居なくてもいいのかな?と。
このままここに居たら、私は私らしく生きられない。

群馬に来て、家があって食べる事に心配無くて、安定した生活が送れて、好きにすればいいと言われて「ありがたい」とは思うけど「幸せ」では無い。
私らしく居られた長沼や定山渓が恋しくて恋しくて、泣いてた事もあった。

父を見送り、これからの将来を考えた時に、群馬に居続けるのは嫌だと思った。
知らない義両親や義弟嫁さん達と同じお墓に入るのは嫌だと思った。
父が健在の間は辛抱・辛抱と思ってきたけど、もう心配する人も居ない。

そしたら偶然にも〇〇町の物件に出会って、譲って貰える事になって、両親が北海道へ導いてくれたのかな?と思う。」

 

旦那さんは寝耳に水で、私の部屋に入ってきて「何で決める前に相談してくれなかった?」

私「ずっと会話の無い毎日を続けて、何か変だとは思わなかった?」

旦「お前は機嫌が悪いと口きかないから、またかな~?と思ってた」

私「前の離婚騒動の時から、ずっと考えてた。今は幸いお父さんが残してくれたお金もあるから、働いていけば何とか一人で生きていけそうだと思う。北海道に帰りたい!」

 

旦「車はもう契約しちまったんなら仕方ないけど、家の契約はやめてくれないか?」

私「無理。あの家を買うのを諦めない。諦めたら一生後悔する。」

旦「こんな別居生活、離婚するって事かぃ!?」

私「あなたがそう望むなら離婚してもいいと思ってる」

 

そんな会話を繰り返して、その日は終わり。

翌日、旦那さんは2階の部屋から降りてきませんでした。

 

翌々日、やっと2階から降りてきて、再び私に話かけてきた旦那さんは、すっかり憔悴した姿。

口を開いた旦那さんからの言葉は、私の気持ちを震えさすものでした。

偶然見つけた空き家物件

2023年は長くて暑い夏、そして日本でも一番暑い町に住む私。

毎年夏は憂鬱で、買い物に外へ出るのも憂鬱・・・

何をする気にもなれず、ひたすらエアコンの効いた部屋でダラダラと引きこもり。

旦那さんとの関係も良くなくて、殆ど会話の無い生活はもう限界寸前でした。

 

そんな夏が過ぎて行ったある秋の日、11月初旬の事。

何気なく開いた空き家バンクのHP。

そこに私好みの物件が掲載されていたのです。

 

ためらう事も無く、その物件に関して問い合わせてみました。

すると「これは人気の物件で問い合わせが5組あり、先に内見した人が購入の意思表示をしたら交渉になってしまい、後の人は購入不可能かも?」と。

 

でも、このチャンスを逃したくない!と必死に食らいつく私。

すると所有者さんが内見させてくれるとの事。

しかも最初の話と変わって、希望者全員に内見して貰い、所有者さんがその人たちと直接会って、最後に誰と交渉するかを決める事になったって!!

 

ならば!と速攻で飛行機のチケットを取り、ホテルも手配。

1泊2日で行ってくる事に。

ちょうどこの時、旦那さんは四国へ一人旅で留守だったのです。

 

11月中旬、移住交流センターを訪れてみると・・・

担当してくれた人は、なんと!知ってる人でした!!

以前、結婚してから長沼へ遊びに来た時に利用させてもらってた、由仁にあったお試し移住の宿泊施設の担当者さんだったんです。

 

「あら~!あの時の!!」

担当者さんは、問い合わせのメールの名前で私の事に気づいてたそうです。

話は盛り上がるけど、所有者さんが待つ家へ拝見に伺う事に。

 

長沼と由仁と栗山に近くて、周りに家があまり無くて、広さも内装も私好みのこの物件。

築年数は古いけど、しっかりメンテナンスされてて老後を過ごすにはうってつけ。

一目で気に入ってしまいました♪

 

所有者さんとも話が盛り上がり「ぜひ!是非!!」と購入の意思表示をたっぷりと。笑

その後、もう1組の内見が終わり、毎日ドキドキしながら結果が届くのを待っていました。

「どうか、どうか、由仁の家が購入出来ますように!!」と、何度祈った事でしょう。

 

内見後、12月中旬に再び北海道に行こう!と考えて、飛行機を手配した私。

その週は、旦那さんがまた「青春18きっぷ」で四国へ旅行に行って留守になるから・・・

 

担当者さんに「一応、購入出来ても出来なくても(その際は新たに物件探しをしようと思い)12月〇日~〇日まで北海道へ行く事にし、飛行機とレンタカーの手配は済ませました。
もし、お譲り頂ける事になったら、その間に譲渡手続きが済ませられたらと考えています」

 

その熱いメールを送った甲斐あってか、担当者さんから電話が☎

購入出来る事になったんです~~~~~~~~~~~~~~~~~~!\(^o^)/

もう歓喜の舞さえ踊ってしまった位♪♪♪

 

でもこの時、旦那さんには北海度の家の事はまだ内緒にしてました。

 

帰ってきたよハイジ母さん

北海道から群馬に嫁いで6年半。

夏になると暑い暑い群馬が嫌い・・・

で、北海道へ再び移住する事になっちゃった、ハイジ母さん。

これから由仁町での暮らしをお伝えします~。

 

昨年11月上旬、偶然見つけた由仁町の空き家バンクでの物件。

何だかトントンと話が進んで、12月には契約手続きに!

4月になったら引っ越しま~す!\(^o^)/